河野太郎の父親は87歳の現在もご存命!息子から肝臓を貰って生き延びた!

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自民党総裁選に出馬することを表明した河野太郎さん。

代々の世襲政治家として有名ですが、父親の河野洋平さんとはどんな人なんでしょうか?

また、河野太郎さんは父とどんな関係なのか調べたところ、2002年に生体肝移植で父に肝臓を提供していたことが判明!

現在河野太郎さんの父・河野洋平さんはどうしているのかについても調査してみました。

 

この記事ではこんなことがわかります▼

  • 河野太郎の父・河野洋平のプロフィール
  • 河野太郎と父の生体肝移植とは?
  • 河野太郎の父・河野洋平の現在は?
    目次
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    河野太郎の父親は河野洋平

     

    河野太郎さんの父・河野洋平さんのプロフィール情報はこちらです。

     

    名前 河野洋平(こうのようへい)
    生年月日 1937年1月15日(87歳)
    出身 神奈川県平塚市
    学歴 早稲田大学政治経済学部経済学科
    職歴 衆議院議員(14期)
    衆議院議長(第71・72代)
    副総理(村山内閣・村山改造内閣)
    外務大臣(第118・123-125代)
    内閣官房長官(第55代)
    科学技術庁長官(第39代)
    原子力委員会委員長(第39代)
    自由民主党総裁(第16代)
    新自由クラブ代表(初代・第3代)丸紅飯田社員
    ニチリョウ代表取締役社長
    日本陸上競技連盟会長(2013年退任)
    著名な親族 祖父:河野治平(実業家・元神奈川県会議長)
    父:河野一郎(元副総理大臣)
    叔父:河野謙三(第11・12代参議院議長)
    従兄:田川誠一(元自治大臣)
    家族構成 妻:武子(1995年7月没)
    長男:太郎(61歳、現デジタル大臣)
    次男:二郎(59歳、那須野牧場社長)
    長女:治子(55歳、日本動物愛護協会評議員)

     

    河野太郎さんの父・河野洋平さんは1937年生まれの87歳です。

    元副総理大臣を務めた父・河野一郎さんの唯一の子供として幼い頃から注目を集め、1965年の父亡きあとには地盤を引き継いで衆議院議員選挙に出馬し、30歳の若さで初当選を果たしています。

    以降、河野洋平さんは衆議院議員を14期務め、政治家として外務大臣や自民党総裁などの様々な要職を歴任しました。

     

    河野洋平さんといえば、内閣官房長官時代に従軍慰安婦問題について触れた「河野談話」が有名だね。

     

    河野洋平さんは2009年の衆議院解散をもって政治家を引退。

    しかし、その後も2013年まで日本陸上競技連盟会長を務めたり、2023年には訪中して王毅外務大臣と面会するなど政界引退後も精力的に活動をされています。

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    河野太郎の父親は現在もご存命!

     

    河野太郎さんの父・河野洋平さんは2024年現在もご存命です。

    河野洋平さんは2002年に生体肝移植を受けた後に政界復帰し、2003年~2009年には衆院議長を務めました。

     

    在任日数は1786日で、当時の憲政史上最長の議長となったよ!

     

    また、2021年9月16日の讀賣新聞に掲載された内容によると、2021年に河野太郎さんが総裁選に出馬した際、河野洋平さんは父親としていてもたってもいられずに息子への支援を要請していたとあります。

     

    洋平氏は15日、都内の青木幹雄・元参院議員会長の事務所を訪れた。青木氏はかつて「参院のドン」と呼ばれ、参院竹下派に影響力を残す。洋平氏は太郎氏の支持拡大に協力を求めたとみられる。周辺は「父親として居ても立ってもいられないようだ」と解説する。

    引用:讀賣新聞より(2021.9.16)

     

    河野洋平さんは今回の自民党総裁選2024でも、息子の河野太郎さんの支援要請に動くかもしれないね!
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    河野太郎は父の生体肝移植のドナー

     

    2024年8月26日に日刊スポーツが報じた内容によると、河野太郎さんは2002年に父・河野洋平さんの生体肝移植のドナーとなって肝臓を提供しています。

     

    生体肝移植手術を受けた父のため、ドナーとして肝臓を提供したことでも知られる。

    引用:日刊スポーツより(2024.8.26)

     

    河野洋平さんはC型慢性肝炎から肝硬変を発症し、2001年8月から1~2カ月の間に3度の肝性脳症に襲われ、食道静脈瘤が破裂寸前という危機的状況にありました。

    そんな「いつ亡くなってもおかしくはない」という状態から2002年におこなった生体肝移植で奇跡的に危機を脱し、2024年現在もご存命です。

    生体肝移植を提案したのは子供たちから

     

    2004年11月の『ガンサポート』に掲載された文書によると、河野洋平さんはまず娘の治子さんから生体肝移植のドナーとなる提案を受けます。

    その後「こういうことは長男が責任を持つのが自然だろう」と河野太郎さんが自らドナーになることを提案。

    しかし、河野洋平さんは「自身の体の不調は神様から与えられた寿命」と考えて子供たちの提案を断りました。

     

    • 「私の肝臓をお父さんにあげるわ」と娘の治子が言い出したのは2月13日の夜。
    • 肝移植を受ける気持ちは少しもいので話を切り上げたが、家族内で生体肝移植の話が進められていた。
    • 「人間には寿命というものがあり、自分の肝臓が駄目になって死ぬのならそれが神様が与えて下さった寿命。健康な子どもの腹を割いてまで人為的に寿命を延ばすつもりはない」と断った。

    引用:『がんサポート』より(2004.11)

     

    河野太郎さんと河野洋平さんは「ごちゃごちゃ言わずにありがとうと肝臓を受け取れ!」「受け取らない!」と大げんかになったそうだよ(笑)
    ただ、最終的に河野太郎さんが「もう勝手にしろ」と言ったら、「そこまで太郎が言うのなら断れないな」となって生体肝移植を受けることを決意したみたい。

     

    河野洋平さんは同じ時期の2002年に、待望の子供を授かった河野太郎さんがあえてリスクを負うような行為は避けたかったそうですが、根負けして提案を受け入れることに。

    そして2002年4月16日、河野洋平さんは信州大学医学部附属病院にて生体肝移植手術を受けました。

     

    3度の肝性脳症という肝硬変の末期症状で「半死半生状態」にあったものの、河野洋平さんは奇跡的に復活を遂げて政界復帰を果たすほどまでに回復しました。

    生体肝移植の後遺症は「腹筋がつる」

     

    2014年の一般社団法人『日本移植学会』寄稿文によると、河野太郎さんは生体肝移植の後遺症として「切手縫合した腹筋がつる」「食事量が減る」といった症状が残っていることを明かしています。

     

    私のほうは、ドナーになった後遺症が今でも残っています。一番深刻なのは、切って縫い合わせた腹筋が今でもよくつることです。靴の紐を縛ったり、足の爪を切ったり、地下鉄の中で変な格好に押されたりしたときに、腹筋がこむら返りのようになります。食べる量も減りました。しかし、おかげさまで私の肝機能は全く問題ありません。

    引用:一般社団法人『日本移植学会』より(2014年)

     

    切開・縫合の影響が後遺症であるみたいだね。
    河野太郎さんは「肝機能は全く問題ありません」と言っているので、生体肝移植を経験しても合併症などの異常はなかったみたいだね。

    【まとめ】河野太郎の父親は87歳の現在もご存命!息子から肝臓を貰って生き延びた!

    今回は「河野太郎は父親のドナーで肝臓を提供!87歳の現在もご存命で政治活動中!」と題してお送りしました。

     

    • 河野太郎の父・河野洋平は自民党総裁や外務大臣などの要職を歴任した
    • 2009年の政界引退後も精力的に政治活動をしている
    • 20024年4月16日、河野太郎は父の生体肝移植のドナーとなって肝臓を半分提供
    • 河野太郎は後遺症として「切開・縫合した部分がつる」「食事量が減った」などの症状があると言っている
    • 河野太郎の父は2024年現在も87歳でご存命。直近では2023年に王毅外務大臣のもとへ訪中するなど政治活動もしている

     

    自民党総裁選に出馬することを表明した河野太郎さん。

    河野太郎さんがもし自民党総裁に選ばれれば、祖父・父が成し遂げられなかった首相の座に就くことができるため、3度目の総裁選も全力で挑んできそうですね!

     

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