東京都知事選に立候補し、大注目の候補の1人として話題だった田母神俊雄(たもがみとしお)さん。
元航空幕僚長という凄すぎる経歴の持ち主ですが、実は学歴も凄いことが判明しました!
田母神俊雄さんはどんな学歴をお持ちなのか、また意外に気になる「田母神」という珍しい苗字についても調べたら、とある歴史上の人物に繋がった…?!
この記事ではこんなことがわかります▼
- 田母神のプロフィール
- 田母神俊雄の学歴
- 田母神俊雄の経歴
田母神俊雄のプロフィール
田母神俊雄さんのプロフィール情報はこちらです。
名前 | 田母神俊雄(たもがみとしお) |
生年月日 | 1948年7月22日 |
年齢 | 75歳 |
出身 | 福島県 |
身長/体重 | 162cm/67㎏ |
最終学歴 | 防衛大学校(防衛大学校15期卒業組) |
役職 | 太陽の党代表幹事兼国民運動本部長 次世代の党副代表 予備役ブルーリボンの会顧問 「日本をまもる会・大東亜聖戦大碑護持会」会長 |
趣味 | 読書、ジョギング、ゴルフ(ベスト67) |
苗字が超激レアすぎて凄い!
田母神俊雄さんの苗字である「田母神」はなかなか聞かない珍しい名字なので調べてみたところ、日本全国に366人しかいない超激レアな名字であることがわかりました。
田母神俊雄さんの出身地・福島県郡山市田村町の山村地帯には「田母神村」という村があり、「田母神」姓はそこから派生した名字となっています。
田母神俊雄さんの出身地・福島県郡山市田村町は、桓武天皇の家臣で征夷大将軍の坂上田村麻呂の母親の出身地ということもわかっていて、「田母神」姓の人は坂上氏田村氏族にルーツを持つともいわれています。
坂上田村麻呂
若い頃が超イケメン!?
田母神俊雄さんの若い頃を調べたところ、残念ながら昔の写真は見つかりませんでした。
そこでAIアプリにて田母神俊雄さんの若い頃を予想してみたところ、超イケメンなお顔になりました!
田母神俊雄さんは航空幕僚長という航空自衛隊のトップにまで上り詰めた凄い人物です。
さらに現在の田母神俊雄さんは、75歳の現在も年齢を感じさせない若々しさな「イケオジ」!
男性女性問わずファンがとても多い人物です。
田母神俊雄の学歴は防衛大学卒の秀才!
田母神俊雄さんの学歴はこちらです。
〈田母神俊雄の学歴〉
- 中学校:郡山市田村町の中学校
- 高校:福島県立安積高等学校
- 大学:防衛大学校 電気工学専攻(第15期)
中学校:郡山市田村町の中学校
田母神俊雄さんの中学校の学歴は、wikipediaの情報によると「福島県郡山市田村町の地元の中学校」とされています。
福島県郡山市田村町の農村に生まれる。その後地元の中学校をへて
福島県郡山市田村町にある中学校を調べたところ、郡山市立守山中学校・郡山市立高瀬中学校の2校が確認できました。
2校の歴史を調べたところ、郡山市立守山中学校・郡山市立高瀬中学校は昭和22年(1947年)ごろに開校しています。
1948年生まれの田母神俊雄さん母校の可能性は十分にあり得そうですね!
高校:福島県立安積高等学校
田母神俊雄さんの高校の学歴は、福島県立安積高等学校出身です。
福島県立安積高等学校
住所:〒963-8851 福島県郡山市開成5丁目25−63
偏差値:70
創立:1884年(明治17年)
田母神俊雄さんは地元の中学校を卒業後、福島県内でNo.1の偏差値を誇る福島県立安積高等学校に進学します。
田母神俊雄さんの出身校の福島県立安積高等学校は、現在は共学の高校ですが平成13年度までは男子校でした。
そのため田母神俊雄さんが在学時はまだ男子校だったということになりますね。
田母神俊雄さんの2023年9月5日のX投稿によると、田母神俊雄さんは75歳になった現在も高校時代の友人とお付き合いがあるそうです!
きっと田母神俊雄さんの高校時代は、友人と楽しく青春時代を過ごされたことが想像できますね!
<福島県立安積高等学校出身の著名人>
久米正雄(小説家)
玄葉光一郎(元外務大臣)
玄侑宗久(小説家)
古川日出男(小説家)
荒井広幸(参議院議員)
大学:防衛大学校 電気工学専攻
田母神俊雄さんの大学の学歴は、防衛大学校の電気工学専攻出身(第15期)です。
防衛大学校
住所:〒239-0811 神奈川県横須賀市走水1丁目10−20
偏差値:47.5~62.5(文系は旧帝文系学部レベルの難易度、理系は金沢大レベルの難易度)
創立:1953年
18歳で地元の福島県から神奈川県横須賀市にある防衛大学校に進学した田母神俊雄さん。
田母神俊雄さんが防衛大学校に進学した理由は父親からの強い勧めで、本音は「合格したいとは思っていなかった」と2021年6月6日投稿のXで明らかにしています。
当時の私は父の強い勧めで防大を受験したが合格したいという思いはあまりなかった。
引用:田母神俊雄Xより(2021.6.6)
さらに田母神俊雄さんは防衛大学を卒業する際、自衛隊の2倍の給料がもらえる民間企業に就職しようと考えていたことも…。
「4年間も国の世話になって何を言っているのか、黙って自衛隊に行け」と言われ自衛官としての人生を歩むことになりました。
引用:田母神俊雄Xより(2021.6.7)
ちなみに、田母神俊雄さんは防衛大学校時代の若い頃はかなりモテモテだった様子が判明しています。
〈田母神俊雄のモテエピソード〉
- 週末になると東京の街に繰り出し、東京の女子大生と夜な夜な遊んでいた
- 大学時代には彼女がいた
- 寮に女の子から電話がしょっちゅうかかってきた
田母神俊雄の経歴は航空幕僚長まで務めた超エリート
田母神俊雄さんの経歴はこちらです。
- 1971年:防衛大学校卒業後、航空自衛官となる
- 2002年:空将昇任、統合幕僚学校長就任
- 2004年:第38代 航空総隊司令官に就任
- 2007年:第29代 航空幕僚長に就任
- 2008年:定年退官
- 2009年:『株式会社田母神事務所』を設立して代表取締役に就任
- 2014年
2月:東京都知事選に出馬(16人中4位で落選)
12月:第47回衆議院議員総選挙に出馬(次世代の党公認で東京都第12区から出馬するが最下位で落選) - 2016年:14年の都知事選の際の公職選挙法違反容疑で逮捕、有罪判決を受ける
- 2022年:ネット掲示板「爆サイ」の管理人総選挙に立候補(36人中2位で落選)
①航空自衛隊所属時代
田母神俊雄さんの航空自衛隊所属時代の詳しい経歴をご紹介します。
田母神俊雄の航空自衛隊所属時代の経歴
1971年3月:1等空曹任官、航空自衛隊幹部候補生学校入校(45期)
1972年3月:3等空尉昇任
1974年7月:2等空尉昇任
1977年7月:1等空尉昇任
1982年7月:3等空佐昇任
1986年1月:2等空佐昇任
1990年1月:1等空佐昇任
1991年8月1日:航空幕僚監部防衛部防衛課勤務
1992年3月16日:航空幕僚監部防衛部防衛課業務計画班長
1993年12月1日:第3航空団基地業務群司令
1995年6月30日:航空幕僚監部人事教育部厚生課長
1996年7月1日:空将補昇任
1997年3月26日:南西航空混成団司令部幕僚長
1998年7月1日:第6航空団司令兼小松基地司令
1999年12月10日:航空幕僚監部装備部長
2002年12月2日:空将昇任、統合幕僚学校長
2004年8月30日:第38代 航空総隊司令官に就任
2007年3月28日:第29代 航空幕僚長に就任
2008年
10月31日:航空幕僚監部付
11月3日:定年退官
引用:防衛省人事発令及び関連書籍(防衛年鑑・自衛隊年鑑)より
田母神俊雄さんは防衛大学校を卒業後、航空自衛官になります。
任務は高射運用という地上の対空ミサイルの指揮でした。
\自衛隊の階級一覧/
田母神俊雄さんは1971年に23歳で航空自衛隊に入り、防衛大学校出身のエリート指揮官として出世街道を順調に歩んでいきます。
田母神俊雄さんは1998年に第6航空団司令兼小松基地司令に着任。
これは地上部隊出身者が戦闘機部隊の指揮官になったという、自衛隊史上初めての出来事でした。
1998年、田母神さんは小松市にある第6航空団司令を務められます。ちょうど50歳のときですね。これは地対空ミサイル出身が戦闘機部隊の指揮官を務めるという、航空自衛隊史上初めてのことだったそうですね。
引用:文春オンラインより
そして田母神俊雄さんは2002年12月に54歳で航空自衛隊No.2の「空将」に昇進。
陸・海・空の各自衛隊の2佐・1佐クラスのエリート自衛官を指導する「統合幕僚学」の校長にも就任しました。
田母神俊雄さんは2004年8月30日に第38代航空総隊司令官に就任。
3年後の2007年3月28日には、航空自衛隊のトップである航空幕僚長(第29代)に就任しました。
2008年10月31日に田母神俊雄さんはアパグループが主催した第1回『「真の近現代史観」懸賞論文』に応募し、「日本は侵略国家であったのか」と題した論文が最優秀藤誠志賞を受賞しました。
しかし、この田母神俊雄さんの論文と日本政府の主張が違うことが問題になり、田母神俊雄さんは航空幕僚長を解任させられ、航空幕僚監部付に降格処分を受けます。
この降格処分により田母神俊雄さんは定年制度が適応となり、2008年11月3日をもって定年退官となりました。
②個人会社設立
田母神俊雄さんは航空自衛隊を退官後、2009年に『株式会社田母神事務所』を設立して代表取締役に就任します。
- 2009年:8月6日、広島市中区のメルパルク広島で「ヒロシマの平和を疑う」との題目で講演を行う。
- 2010年
2月:政治運動団体「頑張れ日本!全国行動委員会」を結成し、会長に就任
10月:尖閣諸島中国漁船衝突事件をきっかけに、東京を含む主要7都市で尖閣諸島を巡る反中デモを主催
12月:田母神事務所を解散(個人商店化) - 2011年:フジテレビの偏向報道に対する抗議デモに「頑張れ日本!全国行動委員会会長」として参加
- 2012年
5月14日:世界ウイグル会議代表者大会に出席
8月19日:尖閣諸島領海での慰霊祭に参加(日本人活動家尖閣諸島上陸事件)
③政治活動家
田母神俊雄さんは2014年以降から政治活動家としても活動しています。
- 2014年2月:東京都知事選に出馬(16人中4位で落選)
- 2014年12月:第47回衆議院議員総選挙に出馬(次世代の党公認で東京都第12区から出馬するが最下位で落選)
- 2016年:14年の都知事選の際の公職選挙法違反容疑で逮捕、有罪判決を受ける
- 2024年:東京都知事選挙に無所属で立候補する意向を表明
田母神俊雄さんは2014年に猪瀬直樹東京都知事の辞職に伴っておこなわれた東京都知事選に立候補します。
候補者16人のうち4位という大健闘でしたが、惜しくも落選。
その後、2014年12月には「第47回衆議院議員総選挙」に次世代の党の公認候補で東京都第12区から出馬します。
しかし、残念ながら最下位で落選してしまいました。
2016年に田母神俊雄さんは2014年の東京都知事選の際の公職選挙法違反容疑で逮捕されます。
その後、裁判の末に2018年に有罪判決が確定。
2023年末まで公民権停止5年の措置を受けました。
【まとめ】田母神俊雄の学歴・経歴!若い頃がイケメン!
今回は「田母神俊雄の学歴は防衛大学校卒の秀才エリート!若い頃は超イケメン!」と題してお送りしました。
- 田母神俊雄の学歴はこちら
中学校:郡山市田村町の中学校
高校:福島県立安積高等学校
大学:防衛大学校 電気工学専攻(第15期) - 田母神俊雄の経歴は防衛大卒のエリート自衛官。第29代航空幕僚長。
- 田母神俊雄の「田母神」という苗字は日本全国に366人しかいない超珍しい名字
東京都知事選で注目の候補として話題の田母神俊雄さん!
2回目の都知事選チャレンジは4位に終わってしまいましたが、今後もぜひ政治活動を頑張ってほしいですね!
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